英語脳をつくる

英語脳と日本語脳!?
最近市販されている英語本には「英語脳」という言葉をよく見かけます。 この言葉の正確な定義を私は知らないのですが、このように書くと、「日本語脳」 と「英語脳」という「2つの脳」が脳の中にある、というイメージができやすいと 思います。図にすると、以下のような感じでしょうか。


頭脳内の「英語脳」と「日本語脳」のイメージ図


このイメージのようなとらえ方がいいのかどうかはわかりませんが、これですと、それぞれ 独立した脳があり、それぞれが考えることによって 日本語や英語などの言葉を生み出す、という風にとらえがちだと思います。 しかし、それは明らかに違います

私たちは、よく「英語で考える」「日本語で考える」などという表現を使ってしまいますが、 私たちが考えるとき、英語や日本語などの具体的な言葉で考えているのではありません。

私たちが何かを「考える」とき、そのときに頭の中には何の言葉も浮かんでいないはずです。 考えた結果、英語や日本語などの言葉が生まれるのです。

これは、日本語でしばしば「思う」と「考える」が混同されていることが原因でしょう。 何故そのようなことがおきるのか、私なりに説明してみます。
「think」と 「思う」と「考える」
英語の「Think」と日本語の「思う」「考える」の概念(意味)の関係は 以下のようになります。


「Think」と「思う」と「考える」の概念関係図


英語では、「私はこう思う」という表現は「I think (that節)〜」という文によって 主に表現されますが、これは、「考えた(判断の)結果、私は〜と思う」という意味です。 例えば

I think (that) you should go to work today.
「今日は仕事に行ったほうがいいと思うよ」

日本語では「思う」という言葉が使われますが、英語の「think」と日本語の 「思う」は、その意味範囲は同じです。

この場合、「思う」の代わりに「考える」を使っても、日本語では意味が 成立します。

I think (that) you should go to work today.
「今日は、あなたは仕事にいくべきだと、私は考えます」

つまり、日本語の「思う」には、「考える」という意味も含まれて しまっているわけですね。これが、「考える」の代わりに「思う」を使っても 文章の意味が成立する理由です。英語の場合も「think」に「考える」という 意味も含まれますので、「think」だけで済むのです。

では、日本語で「思う」は使えるが「考える」は使えない文例を考えてみましょう。

I think I'm in love with you.
「君のことを好きになってしまったんだと思う」

これについては、「君のことを好きになってしまったと 私は考える」とは 普通、言いませんよね(笑)

つまり、論理的な 判断や、善悪や損得の価値判断が入る場合は「考える」、そのような理性的な 判断のプロセスはなく、どちらかというと感情的な感覚を表現するときは、 「思う」しか使えないということです。上の図で言いますと「思う」 の円から「考える」の円を取り除いたドーナツ部分が、そこにあたります。 このドーナツ部分を「ドーナツ思考」と(変な表現ですね(^^;)仮にしておきます。

この、思考の中枢とも言うべき「考える」部分は、言語とは独立しています。 最初に戻りますが、「英語脳をつくる」というのは、 「英語で「ドーナツ思考」をする訓練を行う」ことによって、出来上がっていく と私は考えます。

「考える部分」は「ドーナツ思考」とは別に訓練することができます。 「考える部分」は論理的思考、善悪や損得の価値判断にかかわる部分なので、 これを訓練するのは、別に何語でやってもいい、というのが私の考えです。 例えば、論理学の本を読んだり、哲学書を読んだり、もしくはディベートや ディスカッションをする、などの方法が考えられます。

日本人なら、母国語である日本語でやるのがいいとは思いますが。
英語脳ではなく「英語 インターフェース」
上記のように、考える部分は言語と独立しているのですから、最初の図(英語脳 と日本語脳)というのは、事実を正確に反映していないと言えます。

そこで私は、「言語脳」ならぬ「言語インターフェース」という概念を私は 生み出しました。図にすると以下のような感じです。


「考える脳」と「言語インターフェース」


思考の中枢が「考える脳」で、上記の「ドーナツ思考」する部分が「インターフェース」 ということです。私は言語学、脳科学などについては全くの素人で、この考え方はおそらく ある意味乱暴なんだろうと思いますが、「言語と思考の関係」をシンプルにわかりやすく するためには、これも1つの表現方法としていいのではないかと思っています。

日本人の頭脳には、初めは日本語インターフェースしかありませんが、英語を勉強 することによって、英語インターフェースが育ち始めます。

英語と日本語のいわゆる「バイリンガル」の人は、英語インターフェースが日本語のそれ と同じくらい育っていて、インターフェースの切り替えを瞬時にできる、といった ところでしょうか。

学校英語教育では、文法中心のいわゆる「逆さ読み」による訳読中心の英語教育 が行われてきましたが、これですと、純粋な英語インターフェースは育ちません。

つまり、英語を読んで理解しようとするときに、日本語インターフェースを通って 「考える脳」に到達する、という余計なプロセスが入ってしまうわけです。日本語 インターフェースを通さず、英語インターフェースだけを通して「考える脳」に到達する 方が、当然理解は速いです。 では、次のページで、どのようにすれば英語インターフェースを効率的に育てること ができるか、考えてみたいと思います。
次のページにすすむ TOPに戻る
inserted by FC2 system